建物賃貸借の立ち退き料の相場・算定基準

 相談に来られる方が賃貸人の場合でも、賃借人の場合でも、「立ち退き料は、いくらになりますか」という相談をよく受けます。
 同じ賃料でも、賃借人が物件を何のために使っているのかによって全く違います。また、賃借人が事業者の場合、その経営状態でも違いが出ます。話し合いで決める場合なら、いくらでもいいのですが、それにしても、何か基準がないと決めようがありません。公表されている判決の結論だけ見ても、一定の相場や基準があるようには見えません。
 しかし、相場や基準はあります。
 ここでは、賃借人に落ち度がなく、賃貸人の都合で、賃貸借契約を終わらせる場合に必要になる、立ち退き料の額の決め方についてお話します。
※ここでは、建物の賃貸借の立ち退き料についてお話します。土地の賃貸借(借地)については、「借地の法律相談」をご覧ください。

【目次】
1.立ち退き料の金額と相場
2.移転に伴う経済的損失とは 
 (1) 居住用の場合を例に説明します
 (2) 事業者が移転する場合
3.裁判所での決め方
 (1) 経済的損失額の算定方法
 (2) 裁判所での和解交渉
4.借家権価格と立ち退き料
 (1) 借家権価格とは
 (2) 狭義の借家権価格とは
 (3) 借家権割合方式とは
 (4) 裁判例と借家権割合方式

 

1. 立ち退き料の金額と相場

 立ち退き料は、 話し合いで決めた場合には、その金額です。どんな計算方法を使って決めてもかまいません。例えば、月額賃料何ヶ月分ということで決めても問題ありません。よく聞く話です。しかし、1か月の賃料額の○か月分という相場があって、それで立ち退き料を決めるというルールがあるわけではありません (*1) 。裁判所では使えません。

 また、建物の敷地(土地)の価格の何%などという相場や基準はありません。「借地権価格(土地の更地価格の60~70%)と建物価格」の30%という「借家権価格」があるから立ち退き料はこの金額だ、と賃借人側で主張することもありますが(特に土地の価格が高い場所だと、居住用の場合でも、バカ高な金額になる場合があります)、裁判所がこの金額をそのまま認めることはありません(この算定方法自体を否定する場合もあります)。(*2)

 裁判所の傾向ですが、ある程度の正当事由がある場合には、立ち退きによって賃借人に発生する経済的損失をベースにして、それを調整して立ち退き料を決めています。
 賃借人は、物件から立ち退いて移転しても、「移転前と同じように生活したり、営業する必要」があります。そのための費用それができない場合の損失が、「立ち退きによって賃借人に発生する経済的損失」です。
 正当事由を理由にする建物の明け渡しは、賃貸人の都合で落ち度のない賃借人に建物の明け渡しを求めるものです。そして、賃借人側は、その物件を生活や営業の基盤にしています。そこで、賃借人側に生じる「立ち退きに伴う経済的損失」が補償されるなら(つまり、これを立ち退き料の金額にするなら)立ち退きを認めてもいいだろうと裁判所は考えるわけです。
 立ち退き料は、建前としては賃貸人、賃借人双方の事情を考慮することになりますが、特に賃借人側の都合(その物件を使う必要性)が重視されます。(*3) (*4) (*5)

 このため、 立ち退き料は、賃料額が同じ場合でも、賃借人が物件を何のために使用しているかで、全く違います。住居として使っているのか、事務所(オフィス)として使っているのか、店舗や飲食店として使っているのかなどで、全く違います。業種だけでなく、経営状況などの個別事情(「その場所にいる必要性」を含みます)でも、立ち退き料の金額は大きく違います。
 このような個別事情を一定の基準に基づいて計算して、移転に伴う経済的な損失額が出てきます。

 

(*1)1か月の賃料の何ヶ月分、という話は聞きますが、場合によっては「何年分」だったりして、一定していません。賃借人に納得させるための手法という印象です。
 賃貸人側が 「これくらい払わないと立ち退きに応じないだろう」という理由で数字を決め、賃借人に立ち退き料の提示をする時には、 「賃料の○か月分」とか「賃料の○年分」と説明することもあると思います。つまり、先に金額を決めて、その根拠の説明がしにくいので、賃料の○か月分などと言う場合もあると思います。

 

(*2) 不動産鑑定の世界や相続税の算定方法の中には、この「借家権割合方式による借家権価格」というものがありますが(これについては、後でお話する「借家権価格と立ち退き料」の中の「借家権割合方式とは」をご覧ください)、裁判所はこれで立ち退き料を決めるわけではありません。なお、バブル期の判決は、これをかなり重視していました。しかし、バブル期の判決は、特殊な時期のもので、現在では参考になりません。バブル期の判決を参考に高額な立ち退き料が取れると期待すると失敗します

 

(*3) 世の中には、賃貸人側で住む家もなくて困窮しているという場合もないとは言えないと思います。しかし、裁判になるほとんどのケースは、賃貸人側にお金があり、古くなったビルを建て替えて、より利益を得たいので、退去してほしいというケースです。中には、賃貸人が多額の借金を負っていて、その返済のため、賃借人を退去させて建物と土地を売りたいというケースもありますが、その場合でも、賃借人側に相当額の立ち退き料を支払う必要があります(これについては、「立ち退いてもらって物件を売りたい」の「判決ではお金が必要な理由を要求しているようです」をご覧ください)。※ページが飛ぶので、このページに戻る場合には「戻る」の操作をしてください。

 

(*4) 判決の中には「賃貸人にも一定の正当事由があるので、賃借人側に発生する全ての損失を立ち退き料として支払う必要はない」と言う判決がありますが、実際には、賃借人側の主張する立ち退き料の額が高すぎたり、鑑定の結果が高すぎるので、それを調整して、相当な金額を出すためにこのような言い方をしていると思われるケースがほとんどです。これについては後でお話する「経済的損失の算定方法」をご覧ください。

 

(*5) 賃借人の損失補償が重視されるのは、その物件が賃借人の生活や営業の基盤になっているからです。そうでない場合、例えば、当該物件をほとんど使用しないで賃料だけ支払っている場合には、立ち退き料なしで、明け渡しが認められる場合もあります。移転に伴う経済的損失が発生しないからです。ただし、営業基盤となる物件と密接に結びついている場合(隣のビルと合わせて営業の基盤になっている場合など)は、逆に、賃借人にとって移転が難しいと判断される可能性があります。

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2. 移転に伴う経済的損失とは

 

(1) 居住用の場合を例に説明します

 移転に伴う経済的損失というのは、立ち退くことによって、賃借人に発生する経済的損失です。
 事業用の場合は、少々ややこしいので、まず、単純な例で、住居として使用している賃貸物件から立ち退く場合で説明します。

 この場合は、引越です。そのため、引越費用(家具の移転費用)がかかります。できるだけお金をかけないで引越することもできますが、賃貸人側の都合で引越をするのですから、梱包を含めた引越費用が相当です(もらったお金をどう使うのかは賃借人の自由ですから安く引っ越しするのも自由です)。

 引越するためには、引越先を確保する必要があります。引越先と契約するためには、不動産業者に仲介手数料を支払う必要があります。通常、新居の賃料の1か月分です。礼金の支払いをしなくていい場合が多くなりましたが、礼金相当も必要です。敷金の支払いも必要になりますが、 敷金は預けるだけで最終的には戻ってくるので、これは補償額には含めません(厳密に言うと無利息で預けるので利息相当分の損失が発生しますが、居住用なら無視できます)。 なお、現在の建物を明け渡すと、立ち退き料とは別に、現在の賃貸人から敷金を返してもらうことができます(立ち退き料と敷金の返還は別問題です)。

 まとめると、居住用の場合の立ち退き料は、今借りている物件の中の家具などを移動させるための引越費用と、新しい物件を借りるための費用相当額です。(*1)

 せっかく引越するのだから、今よりも広くて賃料が高い物件に引越しようと思う人もいるかも知れません。しかし、立ち退き料は「現在と同じ居住生活ができるような場所に引越するための費用」の補償です。
  もらった立ち退き料をどう使うのかは自由ですから、今よりもいい物件に引越するのは自由です。しかし、立ち退き料の金額は、今の物件と同じ条件の物件に移転することを前提として計算します。

 居住用の場合は、このように計算すると、賃料額にもよりますが、1か月賃料の6か月分くらいになる場合が多いのではないかと思います。ただし、それはたまたま、そうなる場合もある、ということです。

 

(*1)居住用の場合には、現在の居住場所から比較的近い場所に移転先物件を見つけることができ、移転が困難な特別な事情がない場合がほとんどです。ここでは、特別な事情がない場合を前提に説明しました。

 

(2) 事業者が移転する場合

 ア 移転先を確保するための費用は補償されます

 事業者が使用する場合も、居住用の場合と同じように、「内部の物品等を移転先に設置するための費用」と「移転先を確保するための費用」が、移転に伴う主な経済的損失になります。
 このうち、「移転先を確保するための費用」は、居住用と同じく、「不動産仲介手数料」+「礼金」が基本です。敷金・保証金は、預けるだけで返ってくる建前なので、それ自体は補償されません(利息相当分が損失として考慮されます)。

イ 移転費用と内装工事費

 居住者の場合も事業者の場合も、移転先で、移転前と同じように生活したり、事業ができる必要があります。事業者は、移転前にあった備品や設備が、移転先でも使用できなければなりません。そのための費用も、移転に伴う損失になり、補償の対象になります。

 居住用の場合には、家具などを移転すれば以前と同じように生活できるので、「荷物の引っ越し費用」の補償で足りることになります。
 一般の事務所(オフィス)の場合も、居住用よりは内部の物品が多いのですが、机、椅子、応接セット、移動可能なカウンター、パーテーション、ロッカー、キャビネット、パソコンなど移動できるものがほとんどのはずです。つまり、物品の運搬費用で足ります(この機会に新しいものを買うのは自由ですが、補償対象にはなりません)。内装として移動できないものがある場合には、移転先に新たに設置する必要があるので、その設置費用が補償の対象になります。

 物品の販売店の場合も、棚などが多いだけで、基本的には事務所と同じですが、事務所よりも内装として移転先に設置する必要があるものが増えると思います。高級オーディオ販売店の防音設備など特殊な設備が設置してある場合(ただし、そのうち、移転できないものに限ります)には、その設置費用が補償対象になります。

 飲食店の場合には、特に、内装費用が必要になります。スケルトンで借りて内装した場合は勿論、借りた時点で内装設備があって、それを使用していた場合でも、今度はスケルトンの店舗に移転することを前提として、その設備の設置費用が補償対象になります。店舗にもよりますが、この費用が相当高額になる場合があります。

ウ 休業補償

 事業者の場合、移転のために休業するときは、その間の補償が必要になります。話し合いで解決する(裁判所で和解する場合も含めて)なら、話し合いが成立してから、立ち退きまで猶予期間をもうけるのが普通です。その間、事業者は、今の店舗で事業をしながら、移転先を探し、移転先の内装工事を行います。そして、内装工事が終わって、移転作業を行い、移転先での営業を始めることになります。つまり、猶予期間をもうけるなら、休業することはほとんどありません。ただし、移転先で内装工事をしている間は、移転先の家賃がかかります。猶予期間中、もとの店舗の家賃を0円にするケースもありますが、そうでないなら、二重払いになるので、移転先の家賃の補償が必要になります。

 話し合い解決でない場合には、判決で出て行くことになります。その場合には、原則としてすぐに出ていく必要があるので、そこから休業になります(*1)。移転先の店舗を探す時間、探して契約して内装工事をする期間、移動できる物品を移転して営業開始までの期間が、休業期間になります。その間の利益、従業員への給料、店舗の動産類の保管費用などの費用(いわゆる固定費用)が休業期間中の損失になります。これらは、その事業者の経営状況に基づいて計算されます。(*2)

 休業期間も業種によって違います。得意先が近隣に特に多い場合を除いて、事務所の場合、移転先の物件の候補が多く、比較的短い期間で移転先と契約ができると考えられます。また、内装工事もほとんど必要ないため、2か月程度で足りる場合が多いと思います。
 しかし、得意先が近隣に多かったり、駅周辺の立地を生かしている物品販売店などは、移転先探しにそれなりに時間がかかります。また、内装工事(内装工事のための設計を含め)の時間も必要になります。
 飲食店の場合は、近隣の得意客で売上のほとんどを占める場合が多く、移転先を探すのに、相当な時間がかかり、内装設計、内装工事にも時間がかかります。話し合いで猶予期間をもうける場合にも、6か月程度は普通です。

 

(*1) 後でお話しする公共用地の取得の場合には、先に移転しなければならない日が決まり、それまでの間に移転の準備をするので、話し合いで猶予期間をもうける場合と同じことが言えます。ところが、裁判の場合、和解や調停を除いて(この場合は話し合い解決です)猶予期間がなく、判決ですぐに明け渡しをすることを前提に、立ち退き料額を決めることになります。

 

(*2) 賃貸人側で不動産鑑定士に依頼して算定しようとする場合、賃借人が経営状況の資料を見せることを拒否することがあります。その場合、不動産鑑定士は、統計資料と従業員数など分かる範囲で、経営状況を推定して休業補償額を計算します。計算結果は裁判になれば、賃借人側に見せることになりますが、実際よりも利益などが低い場合には、賃借人側で資料を出します。賃貸人側の不動産鑑定士は、それに基づいて訂正します。もともと推計ということで裁判所に出しているので、訂正しても、鑑定評価全体の信頼性が損なわれることにはなりません。

 エ 「そこにいる必要性」と賃料差額補償・営業補償(得意先の喪失に対する補償)

 立ち退きでは、「そこにいる必要性」が重要な要素になります。
 しかし、住居として使っている場合には、本人の主観的な問題(その住居への愛着など。考慮される事情にはなりません)を除けば、どうしてもそこにいなければならない事情はほとんどありません。移転先の確保も容易です。
 また、事務所の場合も、得意客が物件の周辺に多い場合でなければ、どうしてもその物件でなければならないことはありません。
 しかし、 店舗周辺の人が得意先の飲食店や、駅前など集客上有利な場所にある飲食店などは、移転によって得意客がいなくなって売上が減少する可能性が高く、その物件でなければならない事情が強いと言えます。

「そこにいる必要性」の違いは、移転する場合に移転先がどこになり、その結果どのような影響が起こるのか、という問題に関連します。

 「そこにいる必要性が高い」場合には、 「適当な移転先」は、 現在の物件の近隣になります。近隣と言っても、単に近いだけではなくて、駅からの距離、道路との関係、周辺繁華街との位置など、現在と同じ営業ができる条件を充たす物件がある地域になります。

 そこに移転することによって、賃料がそれ以前よりも上がる物件に移転しなければならない場合には、賃料の差額補償の問題が起きます(賃料の差額補償については、「賃料差額補償・賃料が相場よりも安いのは有利か不利か」をご覧ください)。
 また、移転すると得意客が離れ、従来の売上を維持できないと想定される場合には、営業補償(得意先喪失補償)の問題が起きます。

 得意先喪失補償は、「移転すると得意客が離れて売上が減少するので、それを前提として、減少した売上が移転前の売上に回復するまでの期間の損失」(売上が下がると、材料費は少なくて済むので、その分は損失から除外されます)が補償対象になります。ただし、これは賃貸人、賃借人双方にとって、厳密に予想することが難しいことなので、後でお話する公共用地の取得基準で簡易に算定することもあります(近隣への移転でも、売上が一旦落ちる場合があるので、そのような場合も含めて補償対象になります)。
 この場合も、計算の基礎は、その店舗の営業の状況です。

 しかし、移転先として適当な物件がないのに無理に移転した場合、得意客が売上のほとんどだった店舗では、売上が0円近くに落ち、しかも、何年経っても元の売上に戻らない可能性もあります。つまり、赤字で店舗を維持できなくなり、立ち退き料を無駄に使ってしまい、大きな損害が発生します。そのことが具体的に予想される場合には、判決で賃貸人の訴えが棄却されることもあります(立ち退き料を払っても、正当事由を補うことができない、という理由になります)。

 オ 諸費用

 会社の移転のあいさつ、ホームページその他の変更、営業の届出の費用など、移転に伴って、必要な手続の費用は補償の対象になります。

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3. 裁判所での決め方

 

(1) 経済的損失額の算定の方法

 移転に伴う経済的損失の内容については、すでにお話したとおりですが、裁判になった場合に、具体的に算定する方法について、お話します。ここでは、事業者を前提にお話します。

  移転に伴う経済的損失額の計算方法は、「公共用地の取得の補償基準」を参考にするのが通常です(「2.移転に伴う経済的損失」の「(2) 事業者が移転する場合」のアからオの項目もこれに基づいています)公共用地取得の補償基準というのは、国や自治体が、公共事業のために賃借人などを立ち退かせる場合の補償基準です。補償の内容は、賃借人が他の場所で物件を借りて居住したり、営業したりする場合の経済的損失の補償です。正当事由を理由にする賃借人の立ち退きの問題は、公共用地の取得ではないのですが、この基準を参考にします。

 これは法律でそのように書いてあるわけではなく、また、裁判所の中でそのような取り決めがあるわけでもありません。

 この種の裁判では、不動産鑑定士が算定した立ち退き料の意見書が出されることが多く(高額の立ち退き料が問題になるような例では通常、不動産鑑定士の意見書が出されます)、その意見書で公共用地の取得の補償基準を参考にして、移転に伴う賃借人の損失額を算定しています。他に基準がないからです。このため、裁判所も、公共用地の取得の補償基準を参考に立ち退き料額を算定することになります。

 ただし、公共用地の取得の補償基準も、補償額が自動的に算定できるような単純なものではありません。公共用地の取得のため、迅速に、公平に補償額を決める必要があり、画一的な部分もありますが、事案に合わせて調整する部分もあります。また、移転先がどこになり、その結果、賃料額がいくらになるのかなどは、基準には書いてないので、実情で判断することになります 。その上、立ち退き料の算定に利用するのは、あくまでも、「参考」として利用するので、公共用地の取得の補償基準で画一的に決まっていても、実態に合わせて調整することになります。この「調整」についても、特に、基準はありません。

 このため、原告、被告双方がそれぞれ不動産鑑定士に依頼し、それぞれの不動産鑑定士が公共用地の取得基準を参考に算定した場合でも、算定額に差がでます(かなり大きな差がでることもあります)(*1)
 裁判所が判決する場合、それらの算定の間を取るわけではなく、双方の算定を比較して妥当と思われる方を採用したり、さらにそれを調整して立ち退き料を決めるという方法を採っているものが多く見られます。(*2) (*3)

 しかし、調整すると言っても、次にお話する和解の場合はともかく、判決の場合には、それなりの理由を書く必要があります。
 賃貸人側が依頼した不動産鑑定士の意見書の金額では安すぎるけれども、賃借人側の意見書では高すぎる場合には、その中間の金額が妥当だということになります。ところが、それが本音でも、判決にそのとおりに書いてしまうのはいかがなものかという場合もあると思います。
 そのため、判決の中には、賃貸人に有利なように低く見積もったと思われる賃貸人側の意見書の経済的損失額を採用した上で、賃借人側が提出した意見書の中の「狭義の借家権価格」(土地の価格の一定割合を立ち退き料に加算する計算額。これについては「借家権割合方式とは 」をご覧ください)の1/2を上乗せして、立ち退き料とした裁判例もあります(東京地裁平成25年 9月17日判決)。見かけの上では、経済的損失以上の立ち退き料を認めたことになります。しかし、この判決の立ち退き料額は、賃借人側の意見書の経済的損失額 (狭義の借家権価格を除くもの) よりも低い金額になっています。つまり、賃貸人、賃借人双方が主張する経済損失額を調整した金額です。狭義の借家権価格の1/2を加算するというのは、調整するための理由に過ぎないと思います(なぜ1/2なんだ、というのは野暮というものです)。なお、「狭義の借家権価格」の裁判所の取扱については「 裁判例と借家権割合方式 」をご覧ください。(*4)

 

(*1)後でお話する「狭義の借家権価格」を考慮した場合には、何千万円、場合によって億単位で差がでることもあります。しかし、公共用地の取得基準を参考にして経済的損失額だけで算定した鑑定意見でも、千万単位で差がでる場合があります。

 

(*2) 原告、被告双方から専門家の意見書が出た場合、裁判所が選任する鑑定人の鑑定が行われることがあります。立ち退き料を決める場合には、裁判所が鑑定人を選任して鑑定をするかどうか、明確なルールはありません。裁判所が鑑定人を選任した場合でも、多くの判決が、鑑定人の鑑定した金額をさらに調整しています。立ち退き料に関しては、裁判所が選任した鑑定人の鑑定でも裁判官が納得するとは限らないということです。それならば、やらない方がいいという場合もあり得るわけです(賃料の増減額請求の裁判の場合は、裁判所が選任する鑑定人の鑑定結果がほとんどそのまま判決の内容になる場合が多いとされています)。

 

(*3) 裁判所は、他の証拠関係と合わせて不動産鑑定士の意見を検討します。その中でも、賃借人の営業実態や経済的な事情などを考慮します。これらについては、弁護士が証拠を集めて説明と証明をしなければなりません。賃貸人側の弁護士は、それらを争い、説明と証明をすることになります。

 

(*4) この判決のテナントが入っていたビルでは、複数のテナントがビルの所有者から裁判を起こされました。紹介した事案では、裁判所は「狭義の借家権価格」の1/2を加算して調整しましたが、別のテナントに対しては、「狭義の借家権価格」の加算を認めませんでした。理由は、それぞれのテナントの争い方にあったと思います。別のテナントは、「狭義の借家権価格」で調整しなくても、相当額の立ち退き料が算定できたので、「狭義の借家権価格」の加算を認めませんでした(あくまでも、判決書を読んだ印象です)。このことからも「狭義の借家権価格」というのは、権利として認められたものではない(でも、使い道がある)ことが分かります。

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(2) 裁判所での和解交渉

 この種事案は、裁判になっても、判決で終わるのではなく、裁判所での和解で終わるものがほとんどです。実際の立ち退き料の額は、判決ではなく、和解で決まると言えます。なお、賃借人の場合、立ち退き料だけでなく、立ち退きのための準備期間も必要ですが、判決では、猶予期間をもうけることができません。

 このようなこともあって、判決で終わる前に裁判官は、和解を勧めます(裁判所での和解が成立すると判決と同じ効果があります)。和解交渉になると、それまで双方が書面で緻密に主張を展開していたのが嘘のような大雑把な話になることは珍しくありません。双方が主張する金額の開きがかなり大きいので、そうでもしないと解決しないからです。だったら最初から大雑把な話をすればいいじゃないかと思うかも知れませんが、大雑把な話と言っても、それ以前の緻密な主張や証拠が前提になっています。

 和解交渉は裁判官が主導します。和解ができない場合には、裁判官は、判決を書きます。そして、裁判官は、将来の判決を考えた上で当事者双方の調整をします。このため、それ以前に、裁判官がこちらの方を向いてくれるように、主張や証拠の提出をする必要があります。この点が十分にできていないのに、金額だけ口にしても、いい結果は得られません。

 ただし、弁護士は裁判官の頭の中は分かりません。裁判官が、賃貸人、賃借人双方の事情をどのように見ているのか、そして、判決になったらどうなるのか、弁護士はこれらを考えながら、和解に臨む必要があります。その上で、こちらの主張をどこまで通すか、妥協するのか、裁判官の顔色を見たり(和解の時は当事者ごとに裁判官と話をするのが通常です。このため、裁判官が判決の見通しを明確に発言することもあります)、相手方の腹(落としどころをどう考えているか)を探りながら、検討していくことになります。

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4. 借家権価格と立ち退き料

 

(1) 借家権価格とは

 立ち退き料の相談を受けるときに、「借家権価格はどうなりますか」と聞かれることがあります。
 しかし、借家権価格というものが実際に存在するかと言われると、答えは「ありません」というのが正解だと思います。

 ただし、不動産鑑定用語で「借家権価格」という場合、立ち退き料そのもののことを言う場合があります。それだけなら言葉の問題になります。

 問題は、立ち退き料と同じ意味での「借家権価格」の中に、「狭義の借家権価格」(狭い意味での借家権)というものがあるのか、ということです。
 移転費用など現実に賃借人に発生する経済的損失だけでなく、「狭義の借家権価格」という賃借人が持っていた権利があり、これが移転によって失われるというのが「狭義の借家権価格」の発想です。つまり、建物の賃借人に、経済的に価値のある権利があって、それが立ち退きによって失われるから、その補償が必要だというのです。移転に伴う経済的損失に、「狭義の借家権価格」を加えたものが立ち退き料になる、という考え方です。

  しかし、建物賃貸借(つまり、借家)の場合、権利を第三者に売ることができません。賃貸人の承諾があれば、売ることはできますが、通常、家主は承諾しません。このため、特殊な場合を除いて、取引の対象になりません。そのため、相場価格のようなものはありません。それなのに、「狭義の借家権価格」があるというのは、おかしな話です。 (*1)

 

(*1) 借地の場合、地主に承諾料を支払うことが条件になっていますが、借地権を第三者に売ることが可能です。地主が承諾しない場合でも、裁判所が承諾に代わる許可を出してくれます(借地の譲渡や許可の裁判については「借地の譲渡」をご覧ください)。そのため、取引の相場価格があり、「借地権価格」というものが存在します。

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(2) 狭義の借家権価格とは

 狭義の借家権価格は、発想の異なる複数の算定方法があります。種類の違う狭義の借家権価格があることになります。主なものは「賃料差額還元方式」(簡単に言うと「賃料差額補償」です)と、「借家権割合方式」、そして、「控除法」という算定方法です。
 このうち、「控除法」は、計算方法が一定ではなく、はっきり言えば、いかようにも数字が出てきます(*1)
 また、この3つの方法で算定すると、3つの数字が出てきます。同じ賃借人が立ち退きをするのに、3つの狭義の借家権価格があるというのは、おかしいのでこれを調整して1つにしますが、どう調整するのかは、不動産鑑定士によってもまちまちです(*2)

 ただし、3つの算定式のうち、賃料差額還元方式というのは、賃料差額補償と同じです。現在借りている建物の賃料に対して、移転先の建物賃料(同じ条件の建物の平均的な賃料)が高い場合には、移転するとそれだけ高い賃料を支払うことになるため、一定の期間(通常は2年程度)、その差額を補償しましょう、というものです(賃料の差額補償については、「賃料差額補償・賃料が相場よりも安いのは有利か不利か」をご覧ください)。
 この賃料差額補償は、公共用地の取得基準でも補償が認められています(このため、補償期間も、公共用地の取得基準の補償期間を使う例が多いです)。
 つまり、賃料差額補償については、「狭義の借家権価格」と言うまでもなく、経済損失の補償に含まれると言えます。
 問題は、3つの手法のうち、「借家権割合方式」という手法です(「控除法」は論外と思います)。

 

(*1)控除法というのは、「現在の賃貸物件の価格」と、もしも、その物件が賃貸物件でなくて、「所有者が自分で使っていたと仮定した場合の価格」の差を算定するという建前です(借りているのは「建物」だけですが、計算するときは「建物とその敷地の価格」で計算します)。自分で使っていた方が価格が高くなることを前提としています。そして、そこから、現在の賃貸物件の価格(貸している状態の物件の価格)を引いた差額が、狭義の借家権価格だというのです。これには色々と批判があります。そもそも、こんな計算ができるのか、という問題があります。また、何とか計算して数字を出しても、なんでその数字に見合う権利を、賃借人が持っていたと言えるのか、という問題があります。

 

 

(*2)3つの計算式から数字を出して、この3つを並べて調整する鑑定士もいます(調整の仕方も一定の決まりはありません)。この3つのうち、賃料差額補償だけが合理的だとして他の計算式を切り捨てる鑑定士もいます。賃料差額補償に、借家権割合方式で算定した数字の一定割合を加算する場合もあります。

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(3) 借家権割合方式とは

 「借家権割合方式」は、借地権価格(更地価格の70%前後)の30%に建物の価格の30%を加えたもので算定するというものです (ビルの一室の場合は建物全体の何分の1で計算します) 。それだけ?と思うかも知れませんが、それだけです 。計算は簡単です。しかし、場所や物件によってはかなり高額になります。移転に伴う経済的損失の合計額の数倍になる場合もあります。
 ところが、この算定式、昨日借りた場合でも、30年前に借りた場合でも同じ金額になります。借りていた期間が考慮されないのです。 また、業種その他、賃借人側の具体的事情も考慮されません
また、なんで、この価格に相当する権利を賃借人が持っていることになるのか、根拠がありません。(*1)

 

(*1)そもそも、なんでこんな算定式が生まれたのかと言うと、これにも問題があります。この算定式は、相続税の対象となる遺産のうち貸家(第三者に賃貸している建物)の価格を減額評価する場合に使われるものです(通常の土地建物価格から借家権割合方式で計算した借家権価格を控除したものが貸家の価格とされます。アパートを建てると相続税の節税になると言われている理由がこれです)。つまり、相続税申告の時の賃貸人の財産の評価方法です。建物を借りている賃借人の権利の評価ではありません(建物を借りていても遺産の評価額は0円です)。
 税務上でも、このようなものですから、賃借人がこのような権利を持っていると考えるのはおかしな話です。

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(4) 裁判例と借家権割合方式

 東京高裁の判決例(平成12年3月23日判決)は、立ち退き料の算定に、借家権割合方式による狭義の借家権価格を加えることを否定しました(つまり、経済的損失額だけを立ち退き料額としました)。
 ところが、これで決着がついたわけではありません。

 東京高裁の判決後も、東京地裁などで立ち退き料を決める際に、「借家権割合方式」で算定した狭義の借家権価格を正面から認める判決が出ています(否定する判決もあります)。
 裁判所が選任した鑑定人(不動産鑑定士の中から選任されます)の鑑定書が借家権割合方式で算定している場合には、裁判所も無視できなかったのだろうと思います。
 このため、立ち退き料の算定は、裁判官によってまちまちではないか、という見方もあります。

 ただし、借家権割合方式で算定した鑑定書を採用しても、判決は、その何分の1かに減額して、立ち退き料の金額を決めるのがほとんどです(鑑定書の中で調整して減額してある場合にはそのまま採用する場合もあります)。そのままでは立ち退き料が高くなり過ぎるという判断だと思います(*1)
 それでも、賃借人側からすれば、鑑定書で借家権割合方式を考慮してもらえば、減額されても、その分加算されて、高額な立ち退き料がもらえるように思えます。
 しかし、そんな単純な話ではないと思います。

  例えば、30年以上も借りているような場合(特に営業用の場合)には、純粋な経済的損失補償に、若干のおまけをつけてあげたいというのも、人情かも知れません。また、得意先喪失補償があるとは言え、移転によってそれでは賄えないリスクが発生する場合もあります(*2)。このようなリスクは、算定できないリスクですから、算定式がありません。
 このような場合に、借家権割合方式で算定した狭義の借家権価格の何割かを、算定できる経済的損失額に加算して調整するというのは、発想として理解できないわけではありません(そこに数字があるので、その数字の一部を持ってくる、ということです)。実際にこうした発想で立退料を算定したと思われる判決は多数あります。
 つまり、借家権割合方式で数字だけ大きくなった鑑定があっても、それだけで立退料が高くなるわけではありません。賃借人側は、それに見合うだけの損失リスクがあることを裁判官に説明する必要があります。賃貸人側は、そのようなリスクがないことを説明する必要があります。

 

(*1)金額が高いこと自体が悪いということではなく、移転に伴う経済的損失額とかけ離れて高いのはダメという発想だと思います。

 

(*2) 店舗周辺の顧客が中心の飲食店の場合、近隣に代替店舗が見つからないと廃業のリスクがあります。ところが、公共用地の取得基準の「得意先喪失補償」では、移転した後、一旦売上が落ちても、いつかは売上が回復することを前提に算定するため、廃業リスクが考慮されません。

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内藤寿彦法律事務所 弁護士 内藤寿彦 (東京弁護士会所属)
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